孤独のグルメ。
扶桑社文庫からでている、久住昌之氏の著書。
私はコミック本がどちらかというと苦手で、
この手の本は敬遠しがちだったのだが、
『プログ進化論 ― なぜ人は日記を晒すのか』などの執筆をされている
この方からのおすすめで読んでみた。
扶桑社文庫からでている、久住昌之氏の著書。
私はコミック本がどちらかというと苦手で、
この手の本は敬遠しがちだったのだが、
『プログ進化論 ― なぜ人は日記を晒すのか』などの執筆をされている
この方からのおすすめで読んでみた。
「孤独のグルメ」 にでてくるどの話も、
とくにとびきりのグルメの店が舞台でもなければ、
なにかHappyな結末があるわけでもない。
主人公、井の頭五郎が、飲食店を選ぶとき、はたまた、
店の中で注文するという行為や、食べながらひとり思うことを
つぶやくがごとく、淡々と綴られているのだが、
それが妙に共感を呼ぶのだ。
最後まで読みすすめた時、
「孤独のグルメ」文庫版のあとがきにでてくる、
この文章に、ハッとさせられた。
“入ったことのない飲食店に入る時、
ある種の「勇気」がいるのはなぜだろう。
別に黒塗りの料亭にフリで入ろうというのでも、
ネクタイ・ジャケット着用してない人お断りの
フランス料理店に飛び込もうというのでもないのに、だ。”
私も、このブログを書くずっと以前から、よく知らない街にいくと、
居酒屋や小料理屋を探して歩くのが好きだった。
というか、知らない街に行くと、その繁華街や飲み屋街を
ひととおり歩き回って初めて、その街を「知った」気になるのだ。
そんなことを重ねるうちに、妙に、鼻が効くというか
勘が冴えるというか、私にとって「いい店」をなんとなく
見つけられるようになってきた。
古い暖簾をくぐり、知らないひとたちだけのカウンターに座るとき、
なにか落ち着かない漠然とした不安と、美味しいものに出会える期待が
ひとつになって、妙にハイになる、そんな感じが嫌いではない。
店に入るまでの逡巡。
一見客としての所在無さ。
お品書きをなんどもめくる落ち着きのなさ。
しかし、そんな過程の中で味わう酒が、マイナスからプラスへ、
不安感から幸福感へ、劇的に心持ちを変えてくれる瞬間、
それが好きなのだろう。
「孤独のグルメ」。
妙な読後感のあるこの本を読んで、
こんなことを連休にツラツラ考えている自分は、
いったいなんなんだ。。。(苦笑)
そんなわけで、まだしばらく、
東京の居酒屋を彷徨う 「孤独のグルメ」は続きそうである。
【孤独のグルメ(文庫版)】
孤独のグルメ
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とくにとびきりのグルメの店が舞台でもなければ、
なにかHappyな結末があるわけでもない。
主人公、井の頭五郎が、飲食店を選ぶとき、はたまた、
店の中で注文するという行為や、食べながらひとり思うことを
つぶやくがごとく、淡々と綴られているのだが、
それが妙に共感を呼ぶのだ。
最後まで読みすすめた時、
「孤独のグルメ」文庫版のあとがきにでてくる、
この文章に、ハッとさせられた。
“入ったことのない飲食店に入る時、
ある種の「勇気」がいるのはなぜだろう。
別に黒塗りの料亭にフリで入ろうというのでも、
ネクタイ・ジャケット着用してない人お断りの
フランス料理店に飛び込もうというのでもないのに、だ。”
私も、このブログを書くずっと以前から、よく知らない街にいくと、
居酒屋や小料理屋を探して歩くのが好きだった。
というか、知らない街に行くと、その繁華街や飲み屋街を
ひととおり歩き回って初めて、その街を「知った」気になるのだ。
そんなことを重ねるうちに、妙に、鼻が効くというか
勘が冴えるというか、私にとって「いい店」をなんとなく
見つけられるようになってきた。
古い暖簾をくぐり、知らないひとたちだけのカウンターに座るとき、
なにか落ち着かない漠然とした不安と、美味しいものに出会える期待が
ひとつになって、妙にハイになる、そんな感じが嫌いではない。
店に入るまでの逡巡。
一見客としての所在無さ。
お品書きをなんどもめくる落ち着きのなさ。
しかし、そんな過程の中で味わう酒が、マイナスからプラスへ、
不安感から幸福感へ、劇的に心持ちを変えてくれる瞬間、
それが好きなのだろう。
「孤独のグルメ」。
妙な読後感のあるこの本を読んで、
こんなことを連休にツラツラ考えている自分は、
いったいなんなんだ。。。(苦笑)
そんなわけで、まだしばらく、
東京の居酒屋を彷徨う 「孤独のグルメ」は続きそうである。
【孤独のグルメ(文庫版)】
孤独のグルメ
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